dotFes 2013 KYOTO creative conference in campus
京都精華大学で行われたdotFesに行ってきました!!
その中で、任天堂の上村さんがファミコンの話をされるという、面白いセッションがあったので、その内容をレポートとして纏めてみました。
ちなみに、セッションは二部制になっていましたが、一緒に纏めています。
「メディアを超えたゲーム的表現〜京都で生まれて30年 僕らがファミコンから学んだこと〜」
第一部
ファミコン的表示能力実現の舞台裏 上村 雅之(任天堂 / 立命館大学)
・ファミコンの開発目的
・子供のお小遣いで購入できる価格の実現
・親を子供が説得できる価格の実現
・目標市販価格:1万円以下
・許容最高市販価格:1.5万円
・ファミコンの表示上の技術的設計目標・(実現結果)
1、背景画面は横256ドット✕縦240ドットの精細度
2、動画、背景画のキャラクタは1ドットごとに着色
→但し使用する4色は4種類のカラーパレットに準備した
3、動画キャラクタの1ドット移動表示
4、背景は1ドットづつ水平または垂直スクロール
・開発目標を達成するために生じた表示上の制限
-1-
・動画キャラクタは横に8個しか並べて表示できなかった
→専用に開発した画像表示LSIが原因
-2-
・背景も動画も基本キャラクタは256種類しかなかった
→キャラクタ専用ROMの使用個数制限が原因
-3-
・背景画面は256種類のキャラクタを重複して使い回す必要があった
・背景画面は表示するには960キャラクタが必要
→960キャラクタ=32キャラクタ(横)✕30キャラクタ(縦)
・キャラクタには52色しか着色できない
→ビデオRAMの容量が原因
-4-
・背景画のキャラクタ1個づつを別々に着色できない
・なぜ規制だらけの表示しか実現できなかったのか
・「開発目標を達成するため」が主な理由
→表示装置のコスト削減が必要
1、高価なRAMの使用削減(RAM価格=5✕ROM価格)
2、安価なROMでも最小限の使用に止める
3、安価なCPUで動画が実現できる表示方法の採用
・コスト低減作戦 1
・背景画・動画キャラクタはROMに収納(ROM方式)
→1キロバイトのRAMで背景画を表示できる
・コスト低減作戦 2
・キャラクタの反転表示機能を設ける
・コスト低減作戦 3
・動画表示にスプライト方式を採用
・CPUは動画の属性データをワークRAMに書き込むだけで、表示装置(PPU)
・コスト低減作戦 4
・背景画面のスクロール表示採用
・コスト低減作戦 5
・使用部品数の削減
パソコンでは全く採用されていなかった
先行して発売されていたテレビゲームには類似の表示方式が採用されていた
アーケードビデオゲームでは標準的な表示方式であった
しかし、アーケードゲームの表示方式に比べると余りに制約が多い
・ファミコンは「おもちゃ」であった!!
・おもちゃは「遊びをそそのかすモノ」として姿を現す
フランスの哲学者 ジャック・アンリ著「遊び」
・おもちゃの本質は楽しみと空想性と模倣性を組み合わせたものである
アーノルド・フレイザー著「おもちゃの文化史」
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ココノヱの8BITてきひょうげんのごしょうかい 宗 佳広(ココノヱ)
・ここのゑ ねんがさいと
HTMLとFlashで作られている
・ポイント
中間色はなるべく使わない
BGMがさらに8BIT感を出してくれる
・YMCK
・ほうけいは ぱるすは さんかくは ノイズ
→4つの音を組み合わせることにより8BITっぽいBGMになる
RYOBI CITYのサイト
・ポイント
グリッド上にオブジェクトを並べる
レッツ!キャッチボール
コメディアンバスターズ
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第二部 パネルディスカッション
・細井 浩一(立命館大学 / ITコンソーシアム京都) モデレーター
・中村 洋基(PARTY)
・宗 佳広(ココノヱ)
ファミコンは今年の7月15日で30周年になりました
ファミコンの表現の仕方は今も脈々と引き継がれている
・光線銃
射撃とルーレットを一つにしたゲーム
当時の子供の父親が買っていた
150万丁売れた
当時:6800円で売っていた
・鉄道模型
当時アメリカのMITの学生(スティーブ・ラッセン)が鉄道模型を使ったゲームを作っていた
アメリカの大学生は、昼はミサイルのシステムを、夜はゲームを作っていた
上村さんが一番影響を受けた
ファミコン(1983)の誕生。革命的なスペック?
アーケードの限界
スクロールは、バグ?
ベンダーをどうやって参入させた?
・当時はマシン語で作っていた
任天堂の社員が自分たちのハードでソフトを作りたかった
・ライセンスの概念はいつ出来たのか?
音楽だけは外部に頼んでいた
しかし、開発はマシン語...
最初は、他の会社に作らせたくなかった
なので、営業はほとんどしていない
最初に作ったのは、ハドソン
お客さんを失望させない事が大切
お金以上の価値を作る
・書き換えができる
書き換えの楽しさ
・32キロバイトは当時大容量だった
遊びたいという気持ち=おもちゃ
世界共有の教養の発火剤
ゲームボーイと横井さん
ディスクシステムの誕生
ツインファミコンとスーファミ